スカウト用語『いやさかの歴史』に関する説明ページです

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いやさかの歴史

いやさかの歴史とは

日本で初めてボーイスカウトが始まった頃、佐野常羽がロンドンの郊外にあるベーデンパウエル卿直伝のギルウエル指導者訓練所に学んだとき、13ヶ国の人が入所していた。
そのときの所長のウイルソンは、その全員に各国の「スカウト祝声」をやってみよといった。

佐野常羽は「いやさか(弥栄)」とやって、この意味は、エバア・グローリーだが、良いことは益々良くする、失敗も禍い転じて福となすの意だというと、ウイルソン所長は喜び、発声法は日本のが一番いい、その上哲学が入っている。

日本のが一番だとして「以後このいやさかをもって本訓練所の祝声とする」といった。
それから30年がたち、戦後初めて三島通陽総長がギルウエル指導者訓練所へ行ったら、英国のスカウトが「いやさか」と迎えてくれた。ここでは、戦争中も平気でこれをやっていたと聞き、驚きであった。
その後も続々とこの訓練所に、世界のこの道の指導者がやってきて、訓練を受けて帰る。みんなこの「いやさか」をもらって各国へ帰っていく。

それで世界のよきリーダーは、この「いやさか」を知らないものはいなくなった。


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